夏越の祓

 

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寝屋川市大利神社です。

ところで、神社は初詣しか行かないよという人も今年は行ってみてはいかがでしょうか?

 

夏越の祓(なごしの はらえ)
  
 六月の晦日は一年の前半の最後の日、一年の折り返しとなる日です。この日には半年の間に身にまとわりついた穢(けが)れを祓う「夏越の祓(なごしのはらえ)」が行われます。
 日々の暮らしの中で、私達はさまざまな罪を犯しています。物を粗末に扱ったり、神仏を敬わなかったり、邪な考えを抱いたり。そんな罪を犯すたびにそれは穢れとなって、その身につき、やがては疫病や思わぬ災難という形をとって我が身に返ってくる、私達の先祖はそう考えました。そして、穢れがそうした禍の形をとる前に、穢れを祓い清める必要があると考え、穢れを祓う「大祓(おおはらえ)」という行事を行うようになりました。

 大祓には、六月晦日に行われる「夏越の祓」と大晦日に行われる「年越の祓」の二つがあります。二つの大祓は、天武天皇の時代に朝廷が行う公式の行事として定められたものでしたが、年越の祓の方は早い時期に廃れてしまい、現在はもっぱら夏越の祓だけが行われています。
 「水無月の祓」とも呼ばれます。これは夏越の祓が六月(水無月晦日に行われた大祓であることから生まれた呼び名です

夏越の祓と茅の輪くぐり 
 夏越の祓の行事というと思い出されるのが「茅(ち)の輪くぐり」です。
 茅(ちがや)で大きな輪を作り、この茅の輪をくぐることで病気や禍を免れようと言う神事です。茅の輪くぐりによって、病気や禍を免れるという行事は「備後国風土記」の逸文素戔嗚尊(すさのおのみこと)と蘇民将来(そみんしょうらい)の故事から生まれたものです。
素戔嗚尊蘇民将来 
昔、武塔(むとう)の神と名乗る神が旅の途中にある村で一夜の宿を請いました。その村に住む蘇民将来と巨旦将来という兄弟のうち、裕福な巨旦将来は断りましたが、貧しい蘇民将来は武塔(むとう)の神を迎え入れ、精一杯の歓待をしました。
蘇民将来の歓待を徳とした武塔の神は旅の帰りに再びこの村に立ち寄り、自分が素戔嗚尊であることを明かし、蘇民将来とその家族には、印として茅の輪を作り腰に結びつけておくようにと言い置いて去って行きました。
素戔嗚尊が去ると村は疫病に襲われ、茅の輪を身につけていた蘇民将来とその家族だけを残して、村人は死に絶えてしまいました。


 多くの病気の原因が細菌やウィルスであることなど考えもつかなかった時代には、病気は自分たちの悪い行いの報いとして下された神罰の一種と考えられました。医療技術が未熟であった時代の病気は、今の私達が思うより遙かに恐ろしい禍だったでしょう。ことに大勢の人が次々に病気に罹ってしまう伝染病はとりわけ恐ろしいものだったと考えられます。
 衛生状態がよくなかった時代には、夏は伝染病が発生しやすい時期でしたから、伝染病という恐ろしい神罰が下ることのないようにと、自分たちの身に付いてしまった穢れを祓い、神意を和らげるために夏越の祓は行われました。
 夏越の祓の茅の輪は、疫病を怖れ、これを避けたいと願った人々の思いのこもった、疫病よけの霊力の象徴なのです。f:id:htatsuya:20200627235422j:image

 なお、茅の輪くぐりには作法があり、
 「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延というなり」

と唱えながら、先ず左足から踏み入れ 、
  左回り → 右回り → 左回り
と、「∞」の字を描くように 3度くぐるのが正しいのだそうですが、地域や神社によっては多少作法が異なることもあります。もっとも、茅の輪くぐりの茅の輪を作っているところには、大概この作法の説明書きがあると思いますので、それに従って輪をくぐって下さい。

 

なんだか現在のコロナウィルスの事態とかぶるエピソードですね、お互い助け合いながら自身で出来るだけのことをして過ごしましょう。

水素も免疫力アップに役立ちます。

 

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